ふたばの日記

高等教育や学術政策に関心がある大学生のブログです。考えたことのメモなど。

プログラミング教育の議論から着想した色々

 先日、NEW EDUCATION EXPO 2017に行ってきた。3日間に渡る、教育関係者向けのセミナー&展示会のイベントである。多くの商材を見ながら、あるいはいくつかの講演を聞きながら、「ああ、今の教育はこんなにも急激に変化しているのか」と感じさせられて、初等中等教育への関心を疎かにしていたことを少々反省した。そのなかでは着想を得るものはたくさんあって、未だ消化しきれていないものも多くあるのだが、今回はとある講演で触れられていた、「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」(会議名が長すぎる……)による、「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」(平成28年6月16日)を読みながら考えたことを軽くまとめて置こうと思う。なお、以下の記述は当該文書の要約ではなく、ただそこを起点にして、他の知識と組み合わせながら着想したことに過ぎないと述べておく。

1.プログラミング教育の目的

まず、当該文書におけるプログラミング教育の目的について、簡単に紹介しておく。当該文書では、目的について、以下のように記述している。

プログラミング教育とは、子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育むことであり、コーディングを覚えることが目的ではない。

 そして、ここで出てくる「プログラミング的思考」は、以下のように定義されている。

自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力

2.プログラミング教育導入における論点

 上記のようなプログラミング教育の意義については全く否定しないし、細かい議論はどうであれプログラミング教育の導入の方向性自体については全くの同意である。しかし、それを推進するにあたっては、様々な検討が必要である。

(1)目標設定の妥当性

 教育で導入が望まれるものは、どれも無限に資源があるとしたらやった方がいいことであろう。しかし、現実的にはどれをやるのか、どこまでやるのか、いつやるのかという論点に触れざるを得ない。プログラミング教育を導入するのならば、必ず既存の教科とのトレードオフになるし、そもそも義務教育のなかでどこまでをミニマムにするのかは吟味すべきであるし、いつやるのが効率的なのかの検討も必要である。一点目は当然のことであるので割愛する。二点目について言えば、あまりにも低い水準にしすぎると、ただ楽しいだけで上記の「プログラミング的思考」のような汎用的思考力にはつながらない、あるいは身の回りの技術との連関を想起するにも、遠すぎるところまでしか到達しないかもしれない。かといって高度すぎると、そこについていけない生徒が生じうる。また、高度なものを実現できる生徒には発展的課題に挑戦させることも必要かもしれない。ボトム層の能力を担保しつつ、トップ層の飛躍を担保するのは、非常に難しい課題であると思う(もちろん、学校の教育外へつなげるのはありだろうし、むしろそう水路付けてあげることが大事なのかもしれない)。三点目については、例えば論理的思考力を取れば、なかなか分析的に考えていくのは難しい。もはや大学生でもできない学生が頻出するレベルである。この点はそもそも現在の大学生は論理的思考力を教育課程で育んできていないからだと言われればそれまでなのだが、プログラミングを通して培うならまだしも、ある程度その力を要求するようなことをするのならば、例えば小学校低学年・中学年では取り扱わないことにする方が望ましいという解釈もできるのではないだろうか。

(2)怠惰の肯定

 プログラミングの本質的なものとして、私は「怠惰」があるのだと思う。何かをするのが面倒だからこそ、その作業を分析して自動化しようとする意欲が生まれてくる。そうした状況においては、努力を不問に付し、過程よりも結果を重視する姿勢が必要になってくる。しかし、現状の教育では、様々な部分で「努力」は無条件に肯定されることが多い。掛け算の順序のように、結果ではなく形式に固執するものも見られる。このメンタリティときちんと決別することが、プログラミング教育を効果的に進めていくための鍵と言えるのではないかとも思えるのだが、私の印象としてはそれこそなかなか困難であるように感じられる。

(3)基盤整備

 ICT機器を導入するとなると、当然様々な基盤整備が必要になる。まずハード、それもそれなりのスペックを持ったハードが必要になる。その用途にも依るが、休み時間や自宅でも使えるような一人一台の環境があるものが望ましいだろう。そうしたハードが機能するための環境として、ソフトが必要になる。機器内でのアプリだけでなく、セキュリティも含めたきちんとしたIT環境、活用のための機器(電子黒板等)がなければ、いいハードがあっても機能しない。それに加えて、そうしたハードとソフトを活用する人材が必要である。教員のICT活用能力は格段に向上させなければいけないし、それに加えて教員を補助するICT支援員の充実も必要である。せっかく機材を買ったとしても、通信速度の不足や、画面に表示されないことへの対応で時間を浪費するのであれば、もはややらない方がいいということも考えられる。

(4)組織的対応の必要性

 上記のような基盤整備を確実にしていくためという意味でもそうではない意味でも、組織的に対応を進めていくことが必要になる。というのも、プログラミング教育を教科横断的に進めていく小学校だけでなく、技術の科目が存在する中学校においても、プログラミング教育は独立して行うことではなく、カリキュラムの中に埋め込んで行く必要があるからである。教科横断的に、プログラミング教育におけるそれぞれの能力をどう有機的に連関させて学習させていくかはプログラミング教育の成否に関わってくる。この点では、基本的にクラスを担当する小学校の方が、教科を担当する中学校よりも適切なプログラミング教育を実施しやすいと言えるのかもしれない。

3.社会の分断?

 最後に、プログラミング教育と少し離れた想像を書いておく。

 プログラミング教育にせよ、「アクティブ・ラーニング」への教育改革にせよ、能力は個別のモジュールで育成されるのではなく、カリキュラム全体を通して育んでいくことになる。そこでは、学校組織内での組織的取り組みが重要になってくるし、さらに言えば、学校間での接続も重要になってくる。小学校で卓越したプログラミング能力を培った子どもが、プログラミング教育が貧弱な中学校に入ってしまったら、悲劇以外の何者でもないのである。こうしたことを考えると、組織的な連続性が担保されやすい大学付属校や、そうでなくとも中高一貫校に入ることがより望ましい選択肢として現れてくるのである。現時点でも大学進学を念頭においた進路選択のなかで、中高一貫校がかなりの存在感を持っていることは疑い得ない。しかし、教育改革はこうした傾向に拍車をかけうる。

 一般的に、地元の公立学校に通う以外の選択を取るには、通学や学費のコストがよりかかるようになる。親の認識に応じて、そもそもそういった進学の選択肢すら無きものとして扱われるかもしれない。公立の一貫校は、概して進学重点校とされることが多く、そこに進学するのも難しい上に人的/物的に恵まれた資源配分がされることが多い。

 コンテンツからコンピテンシーへ教育成果の視点が移行してくると、経済階層に応じて大きな経験の格差が想定できるなか、かつ若年階層ほど家族の経済階層の影響を受けやすいと思われる(主観的評価です)状態で、改革を行った入試において経済階層が高いものほど合格しやすいというのも想定できる。教材や指導法のレパートリーが多様化するなか、優れた人材と豊富な資金力を持った学校と、劣った人材と貧困な資金力しかない学校の教育格差が伸長していくこともありうる。

 こうしたものによって、より若年段階における学校別の階層分化に拍車がかかり、社会全体の分断につながっていくという未来は、訪れると予期できるかもしれない。そうならないと願いたいのだけれど。