ふたばの日記

高等教育や学術政策に関心がある大学生のブログです。考えたことのメモなど。

社会構造の変化と地方衰退の必然性、及びそれに対する処方箋

 近年大きな政策課題となっている「地方の衰退」というものが一体どういうものなのか、そして解決に向けた貢献が模索されているなか、一体高等教育には何ができうるのか、ということが最近の自分にとって大きなテーマであった。後者に関しては未だ自分なりの答えを明確に見出すことはできていないのであるが、前者に対しては何となく仮説が作り上げられてきたので、そのことについてまとめておこうと思う。

1.背景にある社会構造の変化

 「地方の衰退」が起こってきた背景には、商圏の変容及び労働の変容と、そうした構造変容を隠蔽してきたものがあるように考えている。なお、「地方」といってもかなりその内実には幅がある。例えば、人口規模がどうであるのか、産業構造がどうであるのか、地理的な特性がどうであるのか、人口構成がどうなっているのか、などである。本当はこれらの状況によってかなりその実態は多様なのであり、それぞれに応じた細かな検討が必要なのだろうが、今回は構造を検討するということで非常に大雑把な話になることにご容赦いただきたい。

1.1.商圏の変容

 地方の衰退を招いた大きな要因として、商圏の変容があげられると考えている。まず、輸送ネットワークが発展したこと。船、飛行機、電車、トラックというのもそうだし、道路や新幹線の整備などもそうである。それに加えて、生鮮品を考えると、輸送の質も向上した。多少の遠隔地で取れたものを、新鮮な状態のまま手に入れることが極めて容易になっているのである。こうした輸送に加えて、決済のコストが低減し、広告のチャネルが多様化し(実際には高コストをかけないと広告効果がないのかもしれない気もするが、少なくとも手軽に広告を打ちやすくはなった)、製造のコストが低下し、データの活用によって在庫管理が極めて効率化された。車と道路が整備されたことは消費者の側の行動も変え、多少の遠くまで出かけてまとめ買いをするという消費行動が一般的なものになった。このようなものを象徴するのが大型ショッピングセンターである。そのほか、ロードサイドの大型店舗が多くの場所で目立って見られるようになった。

 ある事業を考えたとき、その商圏は、(1)当該地域=集落内の商圏、(2)隣接集落を含めた複数地域の商圏、(3)地方的な商圏、(4)全国的な商圏、のように考えることができるが、上記のような変化に伴って、その場所にあることによる相対的なコスト優位の構造が失われることになっている。場合によっては、低賃金大量生産の海外からの輸入物が、低コストの輸送で運ばれることで現地生産よりも安くあがるということが起きうるようになったのである。その結果、(1)や(2)の地場の拠点が重要性を持っていた状況から、(3)や(4)のより大きな商圏の事業において、ネットワークの上部構造が力を持つ時代へと変容してきている。その結果、地域で担われる労働は単純なものになり、資本がネットワークの中心に吸い上げられる構造が構築されてきている。

1.2.労働の変容

 上記の商圏の変容に加えて、労働のあり方も変容してきた。一つは、工程が標準化されたり、機械化されるということである。ショッピングセンターの売り子を考えてみればわかりやすいように、その労働は誰が担ってもすぐにできるようなプロトコルに落とし込まれている。ついでに言えば、場合によってはかなり高度な労働さえも機械化が図られている。次に、育成のシステム化、短期化が目指されている。かつては職人的な徒弟制のなか、時間をかけて特殊技術を培ってきたものが、極めて体系的に習得させるようになっている。例えば、寿司屋の養成などを思い浮かべてみればいいだろう。最後に、生産拠点の外部移転や安価な外国人労働者の導入がある。ただ、これに関してはどれだけ効果を持っていたのかは自分なりに見えていない。というのも、技術漏洩や勤労態度、言語の問題から。必ずしも単純に低コストであるからアウトソーシングされるというわけでもないからである。とはいえ、ある程度雇用が流出していったというのは事実としてみていいのであろう。

1.3.構造変容の隠蔽

 上記のような構造変容に対して、ある意味でそれを隠蔽するような要因があったように思う。それは、かつての地方における公共事業の雇用創出や、日本の国内マーケットの大きさ、労働慣行における言語障壁の大きさ、農林水産業における規制と保護体制などである。こうしたものは、問題が悪化しているにも関わらず、表面上その問題を表出させないことによって、対策を遅らせてきた機能を持ってきたのではないだろうか。

1.4.構造変化の帰結

 ここまで書いてきたことと、前回の記事を考えると、そりゃあ地方が衰退していくというのは構造的に必然であるというように思われてくる。仕事がない仕事がないと言われるけれど、それは当然のことであろう。これに対しての処方箋は、衰退しないように構造を作り変えていくことであろうのに、「23区の大学に規制をかければいい」というような単純な考えが出てくるのには辟易するし、まともに取り組む真摯さなどないのではないかと感じられてしまうのである。

2.誤った方策

 以上のような構造変化を前提として、まず二つの誤った方策について取り上げたい。一つは話題のふるさと納税、もう一つは最近活発化している観光産業のリスクについてである。

2.1.衰退を加速させるふるさと納税

 ふるさと納税は、当初の理念は良かったのだと思っている。しかし、実現したものは極めて筋が悪い。個別に上手くいっている事例はあるだろうが、基本的に返礼品で消費者を満足させる勝負になってしまっている。このとき、上手く地元企業と組めているならばそれはいいが、それでも小口の通常の事業よりも大口の行政の買上げの方が事業リスクが低いため、そこで経営努力の誘引が低下する可能性がある。それに加えて、特産品を開発するために、地域外から原材料を買い入れたり地域外で加工を行う場合には、そこは地元から資金が流出していることになる。その上、こうしたキャンペーンをするにあたって、多くの地域には地元にそれを行うことのできる体力のある広告代理店は少なく、大都市の企業に依頼をすることになる。この場合、完全に資本流出にしかならない。このように、全体を構造的に見てみると、地方から資金が流出しているというケースは多くあると思われるのである。

2.2.観光産業のリスク

 そもそも、観光産業自体に難しさがあるように考えている。確かに、観光産業は上手く行けば外部からの資金獲得につながる。しかし、それは上手く行かせることが極めて難しい上に、リスクが伴うものになっている。まず、観光をもたらすにあたって、多くの地域が行っているのは道の駅の整備である。しかし、道の駅にはハコモノとしてオーバースペックであるとか、膨大なランニングコストがかかるものが多いように感じられる。もちろん、道の駅の施設それだけで収支を合わせなくても、そこから生じてくる観光消費まで含めてネットで判断するというのも妥当なことであるかもしれないが、それだとしても適切な規模であるのかは疑わしいように思われる。

 特産品の開発は多くの地域で活発に行われているが、それも筋が悪いと感じられるものが散見される。(ある意味で)ゆるきゃら、チョコレート、ビスケット、せんべいに見られるように、大した商材の比較優位もなく、模倣障壁は欠如しており、特産物ありきの高価な原材料費と低生産規模による高額化が生じていて、それほど美味しくないものも多くある。旅行中という多少の消費が促進される状況であるとしても、消費者の目線が欠如しているのではないかと感じられる商品は多いのではないだろうか。産直品はもちろん低価格で質の高いものも多くあるが、時には規格外品を副業的に投げ出す場となっているように思われるところもある。

 そして、様々な地域を比べてみるとわかるように、ローカルな地域資源なんて実はどこも似通ったもので、本当の意味でそこに行かないと得られない特産品なんてほとんどない。その方向を目指して観光投資をするのはどうなのだろうか。気持ちはわかるけれど、ほとんどの地域はただ討ち死にするだけなのではないか。まあ、素晴らしいものも一部あるし、市場なんてそんなものだという考えもできるけれど、こういうものは直接的/間接的に税金が投入されているかもしれないから違和感を抱くのである。

 こういう商品開発の面での問題点に加えて、観光産業にはリスクが伴う。国内景気の動向は代表的なものであるし、昨今のインバウンドの増大を考えると、国際関係や国際経済のリスクもある。国内ではあちこちで地域資源を使った観光の活性化が行われ(例えば「日本遺産」「ジオパーク」など)、格安航空が発展してくると海外との行き来も容易になる。それだけ競合が膨大に増えていくなか、わざわざその地域が選ばれるのかというと、もちろんそれを目指して特色化を図っていくのは適切なことなのだけれど、あまりそれに頼りすぎるのは大きなリスクなのではないかと思われる。

3.適切な考え方

 ではどのように考えていけば良いのか。そのためには、状況に合わせて行政システムを変革すること、地域経済の収支構造を考えることの二点が重要なのだと思われる。

3.1.行政システムの変革

 恐らく現状の意思決定プロセスからそのようなことは起こり得ないのだろうとかなり悲観的であるのだが、最も適切な方向性は現状の行政システムを変革することであろう。例えば、ふるさと納税は現状の行政システムを所与のものとして資源の取り合いをしているわけであるが、国家全体として衰退している以上そのような無駄なことは最悪の状態だと思われる。人口減少をすることは人口統計上正確性を持って予期できることであり、人口構成上社会保障費が膨らんで自治体が回らなくなるなら、人工減少に伴ってサービスを広域化するなりして対応していくのは当然のことなのではないか。行政組織ありきではなく、地域の現状に合わせて行政を組織していくということが理想的なのであるが、現状の地方自治の論理を前提にすると、そのような変革は進まずにいつまでも資源の取り合いをしている未来が思い浮かべられてしまう。

3.2.地域経済の収支構造

 上記のようなことは難しいとしても、少なくともきちんと持ってほしい視点は、地域経済の収支構造を考えるということである。一国の経済を発展させていこうと考えるときには、輸出をできるだけ多くして、輸入を少なくして、国内での経済循環を活発化させるというのがセオリーである。それと同様に、地域の経済においても、地域内への資本の流入量を増やし、地域外での流出量を減らし、地域内における循環量を増やすということが鍵になってくる。例えば、地場の産業にいかに大資本にない付加価値をつけるかであるとか、地場の産業をいかに育てていくかであるとか、大資本のなかに地場の産業を組み込んでいく(例えば、大型ショッピングセンターにおける地産地消は一つの解なのかもしれない)ことだとか、そういった取り組みを地道に進めて地域経済の収支構造を改善していくことが求められるのであろう。このとき、地方の経済を支える存在として、制度面から取り組んでいく地方行政、資金面から取り組んでいく地方銀行/信用金庫が精力的に活動し、そしてそれらとともに地域でビジネスを行っていく先進的な事業者が育っていくことが重要なのであろう。

4.大学と地域を支える人材のあり方

 では、このような状況に対して大学ではいかなることができるのか。そこはまだ自分なりの解が見えていないのであるが、いくつか仮説を書いておこうと思う。

4.1.衰退的再生産構造?

 多くの地方で言えるのは、これまでの構造変化を考えると、以前と同じことを再生産するだけでは必然的に衰退していくのではないかということである。しかし、あとできちんと確認したいが、地方公務員や地方銀行、教員の子どもという地方のエスタブリッシュメント層が、地方公立の有力校に進んで、地方国立大学を卒業して、保守的な考え方から地方公務員や地方銀行に就職するという構造があるのではないかというのが気がかりである(妄想がたくましいだけであってほしい)。地方に教育機会が十分にあることの重要性は疑い得ないように考えているが、実は一度地域の外に出て、外部からの視点や外部とのネットワークを持った人間が再び地元に戻ってくる方が、問題解決には寄与しうるのではないかとも思われるのである。

4.2.公務員の選抜制度と予期せぬ同質化効果

 加えて、公務員試験のあり方も一つ考慮していいところであるように思う。公務員の試験は一般には民間就活と毛色が違うもので(最近は変わってきているところもあるようだが)、民間と併願するのがリスクに感じられるときがある。また、公務員試験の対策にはそれなりに時間が必要なようで、民間就活とはキャリアトラックが分かれていくように思われる。確かに、公務員試験は公務員としての適性を担保する上でいくらかの意義を持っているのかもしれないが、そこで予期せぬ結果として同質化効果が生じてしまうことが、ある種保守的な公務員を生み出す機能を持っているのかもしれない。